ウィキペディアの結城紬の記事について 北村陵(結城紬 染色部門 伝統工芸士)

かなり信用度の高くて客観的情報メディアとされているウィキペディアであるが、実は結城紬のウィキペディアは中途半端に詳しい人が関わってるとしか思えない。一体、どういうことか、について述べたい。その前にまず結城紬の検査について触れておきたい。過去に結城紬は文化庁の権限のある国の重要無形文化財のラベルが貼られていたことは結城紬ファンは知るところである。では今、なぜその証紙(ラベル)が使われていないのかについて触れよう。一般的に100パーセントの確率で呉服屋や詳しい知識人とされている方々も、根本的な誤解をしていることをここで指摘する。一体どういうことでしょうか、という質問が出てくる。まず、本場結城紬はインターネットが登場する前は完全に産地問屋の完全受注という流通をしていたので、生産者の多い本場結城紬織物協同組合に所属するものたちは、問屋のいうことをきかないと生活が成り立たなかった背景がある。それから文化庁のラベルがなくなった原因は、その当時、絣くくりの防染技法を用いた本場結城紬が売れなくなってきていて、そのため薄くて淡い色に絣や柄が欲しいという消費者のニーズが増えつつあった。直接染色法いわゆるスリコミと呼ばれている技術を用いた本場結城紬に、文化庁の権限のあるラベルを貼って売っていた、ということで国から指摘があり、産地は文化庁に言われる筋合いのない産地独自の証紙(ラベル)に切り替えて今に至っている。本来、絣くくりの防染による柄作りしか技術指定していない。そのため、文化庁の仕事の物品は、絣くくりの技法の防染作品しかない。この責任があたかも生産者が生産者による本人による贋作を作っていた、という知識人の解釈は少なくない。しかし、これは少々事情が異なる。まずこの頃、述べてきたように生産者は産地問屋の完全受注のためオーダメイド生産や自販などという語源すら生まれていない時代であり、生産者による直接的な流通は当時なかったのである。つまりこの時点においてほぼ産地問屋が本場結城紬を流通させていた背景があり、産地問屋の責任ではないかとの疑惑が浮上し濃厚だが実はそれだけではない。今まで本場結城紬検査協同組合といわれている検査のトップは常にどの時代も産地問屋の組合の理事長(本場結城紬卸商組合理事長)が検査機関のトップをやっていたのである。ここですでに検査組合に客観的な基準がない。さらにきわめつけは、その問題が明るみに出た時(新聞報道、メディア露出が増える時期)にだけ、なぜか本場結城紬織物協同組合のトップ(生産者)をすえおいており、その問題が冷める頃になってまた検査組合のトップの権利を奪い産地問屋の組合のトップ(理事長)(本場結城紬卸商組合)が担当している。繰り返しになるがそもそも着物は意匠権という着物の著作権ともいえる権利(デザイン)を押さえつけられると何もできないのである。(そのため高い維持費を払ってまでパソコンで独自のデザインを作り、その権利を持ちたがるのである。それができなければ、あまりインターネットで活動し、オーダーメイドやオリジナル作品を作りだす意味や必要性がない。)原因はウィキペディアの記載や解釈と背景は若干異なる。この歴史や一連の流れを掲載せずいきなり生産者自らによる本人による贋作、といのはかなり乱暴な言い方にしか私には思えない。仮に生産者 自ら本場結城紬織物協同組合がそんなことをすれば完全受注の背景からして自分の生活も危うくなるばかりか信用すら失い、そこまで危険を犯してまで直接染色法による本場結城紬の生産物に文化庁の権限のある証紙(ラベル)を貼るわけがないのであり、この面において当時、本場結城紬の流通や意匠権を握っていた産地問屋が所属する本場結城紬卸商組合はかなりやっていることが汚い。特に最近になって私が、植野智恵さん(結城紬 製糸部門 伝統工芸士)が袋真綿の実演の後継者育成の様子を、動画でユーチューブの方へアップしたのだが袋真綿のできる生産者は珍しくしかも貴重な技術なのである。ところが産地問屋は、その貴重な原料作りの実演を逆手にとり、全国で彼女に実演させておきながら、機械織りのいしげ結城紬の糸とそれほど変わりませんぐらいの説明を行い、本場結城紬の手つむぎ糸と機械紡績糸の絹糸は変わりないくらいの話をする。さすがにここにきて温厚な植野さんもこの説明は気に入らないようで実演を拒絶しはじめているのである。産地問屋がいかに本当の事実を伝えていないのかはこのエピソードからも伝わってくるように、仮にまだまだ現役で実演可能な植野さんが産地問屋の実演を拒否した時、本当に残したいものはなんだったのであろうかという自業自得の空転が産地問屋には待っている気がする。