こぎん復興に情熱を燃やす横島氏  大林しげる

「昔、刺したことがあったじゃ」「こぎんを作ったことがあります」などというこぎんの製作経験者が、ほとんどいなくなってしまったころ昭和七年ごろになって、こぎんはにわかに復興が叫ばれはじめた。財団法人木村産業研究所が、こぎんに民芸品としての価値を認め、その復興を唱えたのである。この主唱に応えたのが、当時の東京高工(現東京工大)で教鞭を取っていた横島直道氏であった。横島氏は弘前出身。有機化学が専門の学究で最近まで東北女子短大教授も務めたが、昭和七年、木村産業研究所に入所したのがこぎんへの縁となり、遂に昭和三十五年に有限会社弘前こぎん研究所を創設して代表となった人。さる四十九年九月十四日に七十六歳で逝去された。(著者が初めて取材したとき四十五年七月にはきわめて元気で、こぎんのすべてを語られた)今にしてなお惜しい方を失ったと、往時を思い出すのである。氏は静かではあったが、心の底深くにこぎんを愛する情念を燃やし、昔のこぎんを蒐集し、かつはこぎんの刺し手を求め、その話に耳を傾けた。もちろん有機化学の専門分野からのメス入れは続けられたようである。旧津軽藩士の家に生まれ、幼少から家の内職であった弘前手織の作業をみて暮らし、応用化学科を卒業して色染科の研究生となり、結核にかかったのを機に郷里へ戻ったのも、こぎんとの機縁となった。探し出した刺し手の古老から実技の指導も受けた。模様を分析し、構成を研究しては試作を重ね、「荒野にはじめから道があるわけじゃない。歩けばそこが道になる」という魯迅の言葉そのままに、こぎんの世界へ没頭していった。その道は困難を極めたが、長い時間をかけ、よく忍耐し努力を重ね、昔の技術を復元し、刺し手を養成するなど、いずれも多岐にわたる多難な問題点を解決していった。なかでも自然の染料を使って染める昔の染色技術の復元は、氏が化学染料を用いての専門家であっっただけに苦心を極めたという。また、以前は働き着が中心で、一生一代の最高級品は嫁入りの晴れ着であったが、氏は応用の幅を軍をぐんと広げ、幾何図形を基本とする刺し形を基本とする刺し形を多様化しながら、特に色彩の細かい変化で時代の推移にマッチさせ、サイフ、手提げ、ネクタイ、壁掛け、ハンドバッグ、名刺入れ、テーブルセンターなど、趣味の良い生活用品も製作し、東京市場をはじめとする全国のデパートなどへ出荷している。実に、新しい製品をつくり出すための試作のくり返しは多く徒労を伴うが、氏の研究所は実験と試行錯誤を一貫して避けない姿勢を堅持した。趣味的手芸の範囲を超えた大緞帳の製作もその一つ。一番大きいものは間口七メートル、高さ三 .六メートルの最大のこぎん作品。これは氏にとっても、こぎんにとっても深い縁の目屋豪雪センター大ホールの舞台を飾っている。こぎんを現代に生かす新しい方向の一つであろう。