1. 絣括りの、手グセ、特に、括った後真っ直ぐに木綿糸をおろして癖を意図的に消しているという技術を駆使しても手グセは、左右に、もしくはどちらかに寄ってしまい、やはり消せないという技術的にてわざの難しい話を、民藝の父柳宗悦氏が、その括り手の消せない括り手の解説を初心者向けにといている文をみつけた。この括り手の心理をよく説明したとあらためて達人だったと関心している。これを括り手自ら説明すると技術的未熟や言い訳と思われてしまうのだが、第三者がどうにか説明してくれないかと思っていた。後に引用

    絣の誤謬

    引用> 紬

    引用作成中2014.10.7.

     

    次は、故人柳宗悦(やなぎむねよし)氏の文章である。

    『絣はまわりくどい手法です。模様を出す所だけ糸括りするのが一仕事です。それを染めて

    糸をほぐします。絞りのような場合ならこれで仕事は終わるのですが、絣は更にそれを、模様

    が出るように織らねばなりません。考えると、そんな手間をかけるくらいなら、始から型染や

    捺染で模様を出して了えば早いではないかという人があるでしょう。実際絣模様を真似た染物

    が作られました。ですが比べてみると一見してどんなに違うかがわかります。

    上から色を刷ったのと、色を糸の中まで滲みこませてそれを組み合わせたのと結果が違う

    のは当然です。

    どこが絣模様の特色なのでしょうか。数的な性質を有つことではあるが、面白いことに

    は、人間が織るのですからどうしても正確に数を守ることが出来ません。もしそれが

    出来たら却って不自然な現象とさえなるでしょう。その多少の不確実さがいつも

    絣の<ずれ>に現れます。いくら糸括りの際に注意して模様の所だけ糸で締めても、

    染汁には幾分か内に滲み込みます。ですから単位となる柄幅がただに正確に同じ

    長さにはならないのみならず、滲み方が色の濃度さえ一様にはなりません。

    その結果織ってみると、どうしても多少の<ずれ>が出来たり、<ぼかし>が

    出たりします。これが絣の避けられない運命なのです。この<ずれ>や<ぼかし>は

    人間のしくじりとも云えます。いくら正確にしようと思っても、どうしても出来ないのです。

    不可能なのです。所でそういう不可能な人間の不完全さに依るとも云えますが、併し

    考えて見ると、どうしてもそうなるということは、そこに何か必然さがあるとも

    いえます。必然さは人間のことではなく自然のことです。ですから

    <ずれ>は自然の所業だと考えていいでしょう。<ずれ>が少しも出ないような絣

    こそ不自然なのだといえるのです。つまり<ずれ>のあるのが絣たる所以になります。

    若し絣が少しの<ずれ>もなかったとしたら、その模様は染で現わしたものと殆ど

    同じものとなるでしょう。そうしてその正確さは却って冷たさに終るでしょう。

    私は所謂極上品に殆ど<ずれ>のない品をみたことがありますが決して美しいもの

    ではありませんでした。<ずれ>こそは数理の模様たる絣にゆとりを与えるものです。

    もとより<ずれ>が余りひどかったら美しさをそぐでしょう。それは既に自然さの

    性質を超えて人間の誤謬(ごびゅう)が著しく見えるからです。人間の作る絣では

    ありますが、自然の恩沢が厚ければこそ、それが美しくなるのです。、、、、、、、、