好もしい上田の縞紬・佐々木愛子・
私がはじめて、身につけた手織紬は、上田紬でした。新聞社勤務の夫が長野県の支局長となり、昭和31年の春、私たちは、東京から長野市に移り住みました。長野市の県庁に近い住居に落ち着いてから、土地の人に、お手伝に来てもらいました。そのおばさんが「このあたりでは、こんな織物が出来るのですよ」と見せてくれたのが上田紬だったのです。それまで、私は上田紬という名も知らず、見たこともありませんでした。今まで着ていたどの織物にもない素朴で、しっかりした地風、てらいのない縞柄は、まことに好もしい味でした。それから私は、上田市、松代町、戸倉町、須坂市などの紬を織る家々を、次々とたづね歩きました。こんなに身近かで、織物が織られている土地柄におどろいたのです。私は北海道で育ったものですから、身につけるきものは、すべて本州から入って来たものでした。織物では、お召、大島、米流、久留米絣、などを着なれてはいたのですが、それはみな遠い土地で作られたものだったのです。東京で暮している間も、今日と違って、地方の紬などをデパートなどで見ることは全くなかったのです。紬を織る家々で、さまざまな見本裂を見せてもらい、縞や格子、無地などを次々に織ってもらいました。一番はじめに作ったきものは、経糸は薄藍で、緯糸には黒の紬糸を入れた藍無地の紬でした。この紬を着て、長野から寝台車に横になり、翌朝、上野に着き、身づくろいして街に出ても、夜中着ていたきものが、ほとんどしわになっていないのには、驚きました。経糸、緯糸に良質の糸を惜しげもなく使って織り上げてあったからだと思います。