棋士

将棋界の才人が勝負論をかくという鋭い視点が随所に示された。
北野武氏は米長邦雄氏からの手紙を宝物にしている。

名人棋士  升田幸三 勝負


羽生善治は、升田幸三に将棋をさしてもらえなかった。
升田幸三の母の物差しの裏に 名人に香車を引いて勝つ と書き残して家出し、その言葉を現実にした棋士である。新手一生を呼号し、過去の定跡を改革したあらくれもの

新手一生の升田幸三と羽生善治の一手

羽生善治名人が、将棋で名局でたまにさす手がある。プロ棋士のトップクラスでは、解説がよめない謎の手が存在する。それは、升田幸三が新たな手をさすことで、それは羽生善治名人も解説できないような謎のようにみえる一手をさすことは継承された。この羽生の一手は、相手もタイトルをもつような棋士でも思考回路を麻痺させられてしまうもので、これはいったいなんだろうかといつも疑問であった。羽生善治名人が対戦したい相手に選んだ升田幸三氏の著書<勝負>に、その謎の手をさす名人の心理がたどれると思われる文章があった。将棋がわからないと意味不明かもしれないが引用する。 

勝負 読みとヒラメキ  から

私どもの仲間では、だれそれの将棋はヒラメキがあるとかないとか、よくそういうことをいいます。これはなにも、われわれの世界だけじゃない、学者の研究にも、日常の業務の工夫にもあることだと思うのですが、このヒラメキというのは、将棋の場合では、いわゆる読みのできる人におきます。そりゃそうなわけで、日ごろロクに読みもしないのに、ヒラメキの出るはずもない。(略)で、その読みですが、何手よめば読んだうちにはいるか、これはちょっと断言できない。ただし、詰め将棋とかねぇ、ああいう標的の動かざるもの、こちらが全部、主導権をもってやったりするものは、五百手なり六百手なり、読む、ということはあります。しかし普通の将棋では、そういう手数よりもスジを追いますから、手数は関係なしなんです。私どもはすでにたくさんの筋を体得していますから、そのなかから選んだのを当てはめながら、次から次へと追ってゆくんです。だから、千手も万手も、ただの十手も同じことなんだ。いわば、一種の連鎖作用ですな。こうなったらこうする、こうくればこうゆく、という過去のいくつかの組み合わせが、一つの局面からつぎつぎと浮かんでくる。ですからこれは、頭がいいとか悪いとかじゃない。慣れなんですよ。商売でもなんでも、そういう過去の蓄積といいますか、体験といいますか、慣れがないと、新手、つまり新しいアイデアは生まれてこないんやないですか。(略)引用終了

という感じである。ここに付け足すと、こうしたみたことのない相手がよみからはずれる新たな一手は新種のウイルスのように対抗策も自分の次の手ではないところから手をかえさないとならず、これが上手者になると、その上手者のよみの世界の策の中に入り込み、ペースをたぐりよせるものになる。名人の一手は解説も筋書きがないために、この手はなんでしょうか のような解説になってしまう。しかし升田幸三氏のこの文章からその一手の心理が経験の世界から出たものであることがわかる。

勝負の極北 なぜ戦いつづけるのか

藤沢秀行 shuko fujisawa

名誉棋聖 囲碁

米長邦雄 kunio yonenaga

最年長名人獲得 

勲章 紫綬褒章受章

 

勝負の極北 なぜ戦いつづけるのか 藤沢秀行 米長邦雄 共著 より

米長邦雄氏が出羽三山に行き2446段の石段を一段づつ登っていった。頂上まで登るとそこに社(やしろ)がある。お参りをして宮司さんと話しをしたら「車で来るにしても、歩いて来るにしてもわざわざ来てくれるのだから、それで神様はお喜びになる。でも神様にとっては、2446段の石段を自分の足で登ってお参りに来る人が、やはりありがたいでしょうね。」とおっしゃられたそうである。それを米長氏は、将棋にしても碁にしても同じことではないかと思ったという。若い人たちは早く強くなりたいという一心で自分より強い人や連勝している人の情報などを一気に入れている。いわば早く目的地にたどりつくために、勉強法をとっている。これは学校教育のものだという。急いで車で頂上にいくようなやり方で強くなったとしても、それは本物の強さではないという。米長邦雄氏は自分が本当に「これだ」と思うやり方を一年でも早く見つけ、精進すること これが実力をつけるための重要な点であるとした。

無限に広がっていく世界が碁の世界であるとした藤沢秀行氏はおしみなくアドバイスをして若手を可愛がっている。巨星二人が明かす生きる極意は必見必読である。文章中の中盤、中原誠(永世十段 名人位)と米長邦雄九段の対局している写真から、中原氏は、どんな教訓や人生論を展開するか調べてみると将棋の実技書しか残していないため、もったいないと思ってしまう。藤沢氏は自分で苦心惨憺(くしんさんたん)しながらこの局面では何が最良手なのか、ひとつひとつ自力で身につけていかなければ、それはやはり本当のチカラではない。としている。ゴルフのアーノルド・パーマー氏は「信念ある自己流は、信念なき正統に勝る。」と言った。藤沢氏と米長氏は、ともに「下手の考え」を毎日繰り返して徐々に腕を伸ばすことが大切なことであるといっている。江戸につくられた詰将棋「詰むや詰まざるや」という詰め将棋問題は宗看(伊藤宗看 いとうそうかん)と弟の看寿の作ったもので、伊藤宗看は将棋の名人中の名人といわれた。この問題集、詰将棋問題集を米長邦雄氏は1日6時間くらい考え一週間かかった難問があり、このことについて必死で解くことに意味があり、集中力と根気を養う、そして頭脳を鍛えるとした。数多くの棋士は実戦に出そうもない難問をとくことよりも、棋譜(きふ 将棋のうっていた記録)を何局か並べて研究するほうがはるかにいいのではないかと考えていたという。藤沢秀行氏はこのことに、「一番大切なことは、その過程にある。」とし米長邦雄氏は「それに気がつかない人がほとんどだった。」としている。羽生善治氏は十代でそれにきがついたと米長氏は指摘する。米長氏に若かりし羽生氏はこう言い残している「先生、あれには大変な意味が隠されているのですね。毎日毎日将棋のことを考えているということが大事で、その情熱を失わないことが大事なんですね。」と米長氏に言ったという。米長氏は「いつそれに気付いた?」ととうと「十八か十九のときです。」とかえし、途中で並の人間ならばあきらめるところを回り道をした。その回り道の大切さを羽生は十代で気付いたのは素晴らしいとしている。

この著書は藤沢秀行氏が米長邦雄氏と対話して、内容的に面白い。藤沢氏の語録にこういったものがある。参考になればと思い引用する。 まだ修行中の碁打ちには、戦って戦って戦い抜けと言っている。戦いを避ける技は後になってからでも身につく。

碁の達人として、また桁外れのギャンブル負けなどでタイトル戦6連勝賞金1億6千万円でも借金返済しきれなかったほどであるが、また奥さんの他にたくさんの女性とのあいだに子作りして子孫がたくさんいる。というとてつもない人であるが、その人柄は人間臭く、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の千畳閣(せんじょうかく)に奉納した「磊磊」(らいらい らいらいとは大きくてこせこせとしてないさまの意)の書は有名である。肩書きはなんにもならん、勝負っていうのはわからない。碁はもっとわからないんだ。と藤沢氏はいう。この対談は平成におこなわれたものとは思えない生々しい対談完成度で元気がでる。

米長邦雄氏
人間における勝負の研究 米長邦雄著 (一章からの読)逆境での全力 北村陵 作成

勝負で大切なことは、昇格を決める重要な試合にのみ重点をおいて戦いに挑むことではなく、

普段の小さなことや小さな戦いにも努力や勝負をする気持ちをもち、小さなことでも、

常にそれは勝負であるとみて戦う姿勢にこそ本来の勝負運や勝負癖などをよくして、

ひとには平等に巡ってくるとしている米長氏は、その運の波長を逃さないものになるのだ

という。そのあり方が大切なのだという。実際に昇格を決めるような重要な時だけ、

真剣勝負というようではそうした考えの人が多いが違う、普段からだとしている。

小さなことでもいいから、そうした勝負やものにこそ人間の勝負においては大切な意味

をもっているのであるとしている。

昭和五十五年の十段戦の最終戦でのことという。米長氏のエピソードである。夏場に

米長氏は絶不調に陥り、ズルズルと負けがこんで、立ち直れなくなるほどの不調だった。

十段戦リーグでも不調は続き、あと一局を残して五勝四敗、十段戦への挑戦権を失って

しまった。あと一局のところでは、相手の加藤一二三氏に米長氏が勝ち、森安秀光八段

が勝つと森安八段が挑戦者となる。加藤一二三氏は絶好調で勝って十段戦をしめくくり

中原誠氏と戦い、タイトルをとりたい。米長氏にとってはその十段戦リーグは消化試合

であった。背広にネクタイでのいつもの姿ではなく米長氏はこの消化試合を羽織袴で

戦いに挑む。芹沢博文八段は米長氏の真意を知ったうえで「米長はナンだ、挑戦権

と関係なくなったとたん、羽織袴か…」と一流のジョークをいった。

米長氏は一生懸命に将棋をさした。不調は続いており非勢だったが将棋は粘りに粘って

一時は逆転するかと思われるほどであった。最後は結局負けた。この勝負が終わった

瞬間、加藤氏はこの先の中原誠氏との一戦でも「タイトルをとれる」と思ったのでは

ないかと米長氏は思ったという。羽織袴で気持ちを引き締めて立ちふさがった米長氏

に勝った加藤氏は今度は中原誠氏にも勝てるぞ、と。米長氏のこの観察は一種のカン

によるものであるが、結果は加藤氏が中原誠氏に勝ち十段位を獲得した。

勝負士というのはこういった一番では相手は絶対に必死でやってくる。それに抗して

戦わねばならない。米長氏には直接影響しない一戦ではある。相手の気力はものすごい

一番なのであり、そういう一番になおかつ必死に勝とうと努力する。そうすることが

何よりも大切なのだということがうっすら伝わってくるエピソードである。こういう

一番にたとえ負けたとしても全力投球していれば後で報われるものである。

そして米長氏はその直後から調子を取り戻して、10連勝をする。翌年、昭和五十六

年、棋王戦で順調に勝ち進み挑戦権を獲得し、中原誠名人から棋王位を奪回した。

普段から全力で挑み戦う姿勢は運をひきよせ、逆境での戦い方を才人は知らせてくれる

二章集中力をどう持続するか 私が自ら鍛えた勉強法

(米長邦雄著 人間における勝負の研究より) 

才人から学とれるものはなんでも吸収する 作成 北村陵

米長邦雄氏の師匠、佐瀬勇次八段と米長邦雄氏が出会ったのは小学六年生、小学卒業と同時に

内弟子として入る。内弟子の生活は厳しかったという。朝ごはんの手伝いをして学校へいく。

帰ってくると休む間も無く買い物などのお使いが待ち受けていて、それから拭き掃除があり、

さらに夕ご飯のしたくを手伝う。こうした仕事の合間を縫って先生のところの赤ちゃんの子

守りをする、そうして夕ご飯が終わって後片付けしているうちに八時になる。そのあとから

自分の時間で将棋の勉強は寝るまでの十一時からおそくても十二時まで、そしてこの生活の

繰り返しのなかで、ろくすっぽ(ろくに)将棋の勉強ができないので学校から帰るとすぐに

将棋盤の前に座り、断乎として将棋の勉強をしたという。すると師匠も奥さんも用事を言い

つけなくなったという。そっと静かに勉強をさせてくれたという。ますます自分から進んで

将棋の勉強に打ち込むようになったという。米長氏はいう。もし本当に自分のしたい仕事、

するべき仕事があるのなら、会社に行って席についた瞬間から必死になってそれをはじめて

しまえばいい。するとその気迫は必ず周囲の人に伝わってその人には雑事を頼めなくなる。

少なくとも雑事をたのむときは必ず都合を聞いてくれるようになるものです。という。

勉強法としては詰将棋と新聞の将棋欄を利用して次の一手を考えるという方法を多く採った

という。他人の将棋をわざわざ並べて研究するとか、序盤の定跡に明るくなるような努力

をするとか普通のプロ棋士の卵がやることは避けてきたという。というのは、他人の将棋

を勉強したところでその人の水準にしか達しないのではないか。その人の水準を越すために

は自分の独創で指すしかない。という考えや持論が強くあったという。

 

布製の将棋盤

とにかく将棋を考えるすさまじさ。米長氏は高校に入学してから師匠の家を出て下宿生活を

始めると時間的余裕もできて部屋で駒を並べることもできるようになり、学校から帰っては

木製の将棋盤に駒をパチリ、夕食が済んではパチリと駒音をたてて集中できたという。

あまりに駒音をパチリパチリとやるものだから駒音がうるさいという苦情がきてしまった

という。一生懸命将棋をさしているからまったく気にならなかったが他人の耳にはさわる

ものであったようである。そこでいろいろと思案の末、布製の将棋盤を作ったという。

音がならない将棋盤で、現在マグネット薄型携帯将棋があるが、まさにそんな感じの

アイデアである。またひたすら将棋にうちこむ米長氏の姿がうかぶ素晴らしい話だ。

米長邦雄氏のイメージの成熟 作成:北村陵
私は読書において、一冊二冊では書き手の良さや悪さ加減といたものは理解するのは難しいと常々読書のたびに思う。一冊でその書き手の世界に入っていける感情移入もろもろにおいても、情報は少ないしテーマにしても限られてしまい、ひとつに理解が難しい といっているのである。米長氏の一冊目の本を読んでいるうちに、米長氏の書いている文章からふわりとイメージがはやくも成熟するということにでくわしたのである。これから様々な勝負師の論ずるものをかきとめていきたいが、実におもしろく興味深いテーマであると感じている次第である。染織資料おこしも同時進行でおこなっているが、時間があいてはそういった書物をよんではメモしている。
米長「ひらめき」 について 
昭和五十五年度の名人戦の挑戦者リーグでの森安秀光八段との一戦。終盤まで森安さんに攻め込まれ米長氏のほうが形勢が悪い。将棋では常に最善手をさすことが重要とされている。常識的な第一感での最善手をさすと相手も最善手で返して結局最善手をさして対抗していくと、米長氏は押し切られてしまう、と判断し、最善手を止め、相手の予想のない手、わざとおかしな手をさすと、相手のリズムというか気というか、あるいは間というかそういったものが崩れ、呼吸が乱れるはずだと感じたという。米長氏の経験では相手がキチッと指してきた場合には、自分も緊張しているが相手が急におかしくなると、自分も何か変なふうになってしまうことがあるという。森安氏は悪手が出てしまい、米長氏が逆転勝ちとなった。
最善手と最善手をさしあっていくのが将棋である。プロとプロの戦いにおいてたがいに相手の次の手、その次の手を想定して駒を動かして優勢に戦術をはこぶ。相手が最善手をさしてくると次の手はこうなると将棋盤のうえでよみ、時として最善手を止めることは、相手の想定する次の手ではなくなり、わずかな違いによって勝ち上る棋士同士にもリズムがくるう時がある。さらにはふつうでは信じられないような手を指して、おかしなことをやり、それにつられて相手が悪手をさし局面が逆転するという勝負は少なくないということが将棋ではわかってきた。

勉強の仕方 米長邦雄 羽生善治 共著

まるで親子のような感じがする。メガネの選び方も似ている。

適応力 羽生善治

羽生善治氏の本を三冊購入した。メガネ選びもインテリになっている気がする。羽生善治氏が頭角をあらわし、羽生氏登場前は谷川氏の時代が20年続くと言われていた。

上記2冊の紹介のまえに

こちらを取り上げたい。

羽生善治氏を仮に最強将棋ソフトと対戦させるという場合、羽生氏はその対策として、まず人間との対戦は全てやめて、将棋ソフトのための対戦研究をするという。この場合、米長氏は、対戦のために、対局料は7億円をこえる試算を出した。さらにのべると、旧名人の自身(米長氏)は70倍ほど違う一千万円という対局料になるとした。それに世界選手権で将棋ソフトで競う強いソフトと対戦が実現した。米長氏は最強将棋ソフトに敗北したのであるが、人気はあがっていく。どんな強者も負けると人気は暴落しさらに批判されるのが勝負の世界に身を置いて生きるものにぶつけられる。そこにみえてきたものは謙虚な姿勢であり続ける勝負士の理論があった。

実力のあるものほど、泥沼の戦いへもちこむのだ、と過去の著書で米長氏は言った。

 

 

羽生善治さんへ アンテナ

SNSに記録した羽生さんアンテナ

Misasagi ‏@kitamuraryo55 3月6日 ラジコというアプリで日曜日はTBSラジオをきくことは、普段30歳こえてから音楽をそんなにきかなくなった無音状態から唯一、解放する時間にしている。仕事を一時的に忘れるためでもある。
そして私は特別に日記というかスケジュール帳をもっていないが、枕元には大学ノートとマッキーペンをおいている。最近だとこんなことをメモした。私は部屋にテレビはないが、将棋の羽生名人が出演していたときに頭のなかに羽生名人のトークを記憶しメモした。次に続くMisasagi ‏@kitamuraryo55 3月6日 BSフジ 将棋は前に向かっていく、闘争心はそんなにいらないのかなと思います。闘争心がまったくないと無気力になる。将棋のコマを寿司に置き換えて、歩兵がカッパ寿司とか、いくらとか。でもこれで将棋はわかりますかといわれたが、寿司は寿司でしかない。頭の中で将棋のコマをおきかえられなかった
Misasagi ‏@kitamuraryo55 3月6日 2016年夕方17:30 3月5日におそらく再放送かなにかで 再放送か総集編だった。 羽生さんは、難しい話は避けて、 脳科学で脳を使う部分が突出していた、 とふられたが、私はその時の判断は 例えばなになにがあって みたいにわかりやすく説明していた。

 

 

われ敗れたり コンピュータ棋戦のすべてを語る 米長邦雄 著書メモ
30代40代のようなつよさを取り戻そうとするには、野球で言えば王貞治氏や落合博満氏がふたたび現役のようにバッターボックスにたち、ホームランやヒットをうつにはどうしたらよいかということと同じであるという。会長になって将棋の経営のことで頭をすりへらしてきたせいか、どれくらい弱くなってしまったのかわからない状態であったという。再び「どうしたら将棋が強くなるか」という原点に立ち返る。プロ棋士になる、タイトルをとりたいとなるとほとんどの勉強方法論は無駄になるという。勉強方法がむしろ害になってしまうという。それはプロ棋士は、自分自身と将棋盤以外、何も持たないで戦わなければならないからだという。自分と将棋盤以外何もないところで戦うということが対局場であるからである。外から入ってくる情報、耳から入る情報ではなく自分の頭の中の思考で考える能力それが将棋の前で必要なのだという。そのためにコンピュータと戦うために行ったトレーニングが「詰将棋を解く」ことだったといい、対局が決まってからコツコツと詰将棋に取り組んだ。難しい問題でも必ず答えがある。答えを見ずに自分の力で解くことが大切であるという。答えをみてしまうと、自分の力で解いたと錯覚してしまうから、答えはみてはいけないという。コンピュータ戦にむけて、体調を整えること酒を飲むことを断ち、万全の状態で対局にむかっていく。<2011.5.21.記>に直感がひらめいても具体的な手順が思うように出てこない。コンピュータは一秒足らずで全てを読みきるから勝負にならない。できれば全盛時代に戦ってみたかったなぁとしみじみ思う。>>>と記しており、名人も衰えていることを含め日々の葛藤がよく描かれている。コンピュータは一秒で解くということがわかっていても人間が強くなるためには詰将棋を解いていくしかないという。職人芸という言葉がある。どれほど優れた機械であっても手作りにはかなわない、ということがある。逆にいえば手作りの尊さを忘れたときに、人間は機械に敗れる。だから、一生懸命に詰将棋を解いて脳みそに汗をかく。自身の棋力を高めていくというこの地道なトレーニングを怠るわけにはいかない。また、著書の中盤過ぎに、棋力をたかめる4つのポイントがあるが著書をよんで確認いただきたい。米長氏はかなりその棋力を高めることに気を使っていることがわかる。 ボンクラーズとは?>ボンクラーズは渡辺竜王と大接戦を演じたボナンザをベースに作られたが、当時のボナンザより、角一枚は強くなっていると米長氏はみている。富士通の関連会社に勤務する伊藤英紀さんが開発してもので米長氏はボンクラーズを自腹で購入し、研究対策して、ボンクラーズとの対局まで準備した。がかなり強いということを著書で再三記してる。名前はふせることを約束にボンクラーズとプロ棋士は対局したがタイトルをもつような棋士も2名敗れている。富士通のコンピュータといえば世界最速の称号を得た「京 けい」が有名である。一秒に1800万手を読む将棋ソフトである。

飛車、角、歩は敵陣地に入ったら必ず成るもの、というプログラミングがされているため七手詰めの有名な詰将棋を解くことができない、と米長氏は見抜いた。「成らないほうが得になる」というケースがコンピュータには計算されていない。米長氏は、ボンクラーズの弱点はここであるとしたが、成らないほうが得という例外的な対局は千局、万局に一回くらいで、自身のキャリアの中では成らないほうが得というケースは一回もなかったという。そうしたことから、将棋ソフトに開発者が例外的なケースを覚えさせなかったのではないかと米長氏は推測した。

この後も私はメモしたが、ニコニコ生放送で100万人が見守った電王戦第一回の舞台ウラが記されているが、米長氏の記録は将棋を知らないファンが増えた理由が伝わる著書といえる。コンピュータに敗戦したがアンケートで良かったというパーセンテージはニコニコ生放送の新記録を更新した。2016.4.20.メモ

勉強の仕方 米長邦雄 羽生善治 共著

まえがきに、7冠を制した羽生善治と60歳タイトル保持者を目指す米長邦雄の二人が、平成8年の春、二日間にわたって語り合った対談集である、とある。この頃、いじめや宗教が世間の話題にのぼることが多い背景、多くの若者が心の拠り所、人生の目標を見出せないからであるといったことや何をしたらいいのかわからない中年が増えていることや世界一のお金持ちと錯覚していたのはついこの間までの夢であって現実には倒産寸前の国家で、不況の出口は未だ見えず、政治も経済も混迷をきわめている、としている。世をあげてパソコン時代になりつつあり、計算速さや正確さも知識の絶対量もときにはゲームの面白さも、人間とは違って信じられる正しさが内包されているからであるが、しかしそれに目を奪われてもっと大切なものを見落としているような気がする、と米長氏は危機感を抱いていた。将棋を通じての、真理と人間の一体化を論じる著書となっている。内容はいつの時代にも通用することばかりであり、子どもの教育や将来を心配しているお母さん、仕事熱心なお 父さんには、是非読んでもらいたいのだという。どう勉強するかという前に大事なことがもう一つあると思うんです。それは自分の人生の究極の目的というか何を求めて生きるかということです。よと米長氏はとき、オウム事件の話を羽生善治氏とかわす場面が始まりにある。羽生善治氏は宗教の基礎的な知識を知っておくというだけで簡単に騙されてしまうというようなことはだいぶ減るのではないかといった答えをしている。真理を求めていく、それを子どもの頃からやる。修行というか、勉強する。そうすると自然とものの考え方が最善手を求めるようになっていく。将棋のものの考え方、将棋の世界で培った人生観とか宗教観、そういうものを持っていれば、仲介業者に騙されて一生を棒に振るようなことはありえない。そんなばかな人間が大量に出るということは、偏差値とか学歴とかに目を奪われて、最も大切なものを忘れているからである。それが教育の場に欠落しているということであるという。(という米長氏は将棋において常に疑問と抵抗をしていた。米長邦雄氏は何かと師匠に反発し逆のことをしていた。師匠と同じことをして いたら師匠止まりと見抜いてずっと頂点をみている。あまりにも言うことを聞かないので、師匠に破門にすると言われるが、升田幸三氏が破門に米長邦雄をするなら俺がひきとるといって間に入るくらいである)、しかし、なんの世界でも、師匠に反発や、師匠のいうこときいていたら師匠止まり、という考え方は、なかなか出来ないし、もてないことである。師匠は、将棋の主流から離れていた。主流を形成するというのは名門で、派閥である。自分(師匠は)ではもう無理なことがわかって弟子に夢を託す。そういう意味で米長邦雄氏は師匠と戦友で夢は一致していた。考え方が違うから反発しているに過ぎない。お互いが遠くに見ているものが一致していた。普通の師弟関係でなく親子関係以上であった。自分なりの勉強をみつける大切さは羽生氏も言い続けている。もちろん、勉強法が将棋のすべてではなく、勉強法も役にたたないということがあると一見無情で矛盾になるようなことも説いているが、彼らは熱心であり、尊敬されている。自由競争を激化させる面白い内容だ。是非読んでもらいたい。

 

将棋のスタートは 羽生 真似てから理解へ

米長 自分の頭で考えることが大切でありそれが勉強のスタートになる

学びて思わざれば則ち(すなわち)罔し(くらし)

意味:古典を学んでも自分で考えなければ知識が曖昧であるの意味

また著書後半は棋士同士の語り合いがあつくなっていく。

著書発行の時代、学生の塾、勉強の押し込みの弊害、18才が勉強のできるピークで、そこから人生が沈んでいってしまう背景、人は衰えるが、まわりも衰える、そのなかで衰えない秘訣、年齢ごとに変化する勉強の仕方の方法論を、互いに年齢が違う中で対談を重ねる。棋士のみている世界をのぞける。混沌をきわめた時代に、活きた情報がねむっている。囲碁の世界でもつい最近、7冠達成の井山氏など、勝負の世界をもりあげるスターがではじめている。こうした勝負の世界の人生観を知れることはありがたいこと

適応力 羽生善治
適応力 羽生善治 彼が40歳の誕生日の前にこの著書の依頼があって適応力について述べるというものである。羽生氏は、40歳というイメージは貫禄と重みが増すものという漠然としたイメージはあったが自分でその歳を迎えてみるとどちらもないといった感じだと率直に述べる。超高速的な時代の突入は、周りの風景もみえないもので、ゆっくり走れば周りの景色も楽しめたり、時には立ち止まることも必要ではないか、という考えがあって、先行き不透明というのはいつの時代もそうではないか、逆にいえば先行きがみえたら退屈してしまうともいい、そうした不透明がゆえに、少しでも進む方向をきめて自分で進んでいく、そのために読者にきっかけや気がついて欲しいことなどの羽生氏独特の考えを細かに書かれている。身につけてきた知識が役に立たないむしろ阻害の原因になったり、絶望的なものに思えてくる、しかし直接的には役に立たなくても、今、取り組まなくてはならないテーマに対するアプローチ、方法、メゾットを選択するときは経験は大切な材料になる、という。例えば、過去 にこんなやり方をして多くの時間を無駄にしてしまった経験があればそれを繰り返すことはまずありませんし、有効な手段の絞り込みがスムーズにできることは間違いありません、という。読者として私も40歳前にもすでにこうした経験論は、そういえば該当するかもしれない事柄は多々あり、なるほどといったものが文章の端々から読み取れる内容である。大変な時に自分の持っているチカラをフルに発揮するのは簡単なことではありませんが、経験はそれをサポートしてくれるという。羽生氏は10代の頃は結果がすべてと思っていた。年齢を重ねていくとそれが徐々に内容を重視する方向へと変わっていったという。これは私自身に置き換えると、勝負の世界ではなかったので、当てはまることは少ないが、例えば、サッカー元日本代表の中田英寿さんは、試合のあとのインタビューでは、結果がすべてです、といった回答が多かった。だからとくに勝負の世界で10代から実践をふくめてその世界にいると必然にそういった勝負感や勝負論が出来上がるものではないだろうか 。キャリアを重ねてみて、勝負白黒がついて、スッキリはする。しかし味気ないことに気がついて内容的な充実を重視するようになっていく。人間性の成長とはそうした部分で違いが出て、ひとまわり大きな考え方を持てるようになる。羽生氏は続ける。「異なった基準のモノサシを持つ」こと。これは油断と怠け心を未然に防げるというメリットがあるという。内容を重視していけば必ずといっていいほど新たな問題、異なった課題が生まれてきて、それを対処する必要に迫られる。それが異なったモノサシがあると煮詰まりにくい面もあるのだという。いくつかの視点があれば方向性を誤ることが少なくなる、という意味があるのだという。職人技というのは、毎日毎日、同じことを繰り返して何十年もの歳月を要して極めて高度な匠の技を磨き上げます。そうなるまでには「無駄の省略」「さまざまな工夫」「粘り強く頑張る姿勢」「独創的なアイディア」などさまざまなファクターがある。少しずつ、一手でできる範囲を知り、実現可能な構想かどうかという判別がみにつく。そこにいくま でにたくさんのミスとエラーがあった。アインシュタインと並んで20世紀を代表する物理学者、量子力学に多大な功績をしたニールス・ボーアも「専門家とは非常に狭い分野で、ありとあらゆる失敗を重ねてきた人間のことである」と言っている。正確な身の丈を知るためには、さまざまな角度からのトライアンドエラーが必要になる。急がば回れといいますが、こうしてみてみますと、地道が一番と思えてならないように思います。羽生善治名人も、電車で居眠りをしてしまうこともある。私が、羽生善治氏に対してもつ天才肌な部分がスマートな理論を好むと思っていたが、違い、米長邦雄氏とまったく同じ、個人的にもがいてもがいて掴むどろじあいを好んでいる点である。これは米長邦雄氏の著書で、実力のあるものほど、どろじあいになる長期的な混戦の鍔迫り合いを選んでいる点である。さぁ、棋士という勝負の世界の人について、次の用意をしなければならない。 さらに私が思うこの著書のキモになっている重要な場所はP89〜94の点であることをくわえて終わろう。

 

棋士1について 終2016.5.7土