紬の町で機を織る・佐々木愛子
長野から上田まで国道沿いには桑畠が続き、つやつやと光った桑の葉が風にゆれていました。その時季には、農家では座敷の畳を上げてしまい、蚕棚を並べて養蚕に精を出すのです。紬を織る川中島の農家を訪ねましたら、三部屋くらい打っ通しで、蚕を飼っていましたが、蚕が桑をたべる音の大きいのに驚かされたものでした。また、真っ白な繭が山のように板の間盛り上げてある有様は、いいようもないほど、豊かで美しい眺めでした。農家のお嫁さんが寒々とした荒壁の納戸で機を織っていましたが、質素な部屋のたたずまいと、機にかかった紅色の輝くような素地とが、あまりにかけはなれて胸がつまったこともありました。織ってもらっているだけでは我慢が出来ず、私は機織をならいはじめました。農家の土蔵の奥に打ちすててあった古い機を、1500円でゆずってもらい、戸倉の紬を織る家に運び、そこで織物を教わったのです。毎日、長野市から通って機を織り、やがて何とか一人で織れるようになって、その糸をかけたままの機を、リヤカーで長野の支局の住居に運んでもらったのです。いま思うと、のどかなものです。藍の濃淡のかつを縞をかけた機が、リヤカーの上でゆらゆらゆれながら、自転車にひかれて国道を通って行ったのです。長野で暮している間に、何反か紬を織ったのですが、素人の私の望みを、面倒がりもせず、手をとって教えてくれた方々のやさしい気持を心からありがたいと思っています。その時の織機は、いま東京の家にあり、織物をしている長女が毎日、使っています。この頃の新しい織機とは全く違い、黒光りしたがっしりした織機です。