染め 日本にある赤染材料、薬学的な草木と黄色について
染色の原始論
おおむね、上記のような浸して染める浸染(しんせん、ひたしぞめ)「つけぞめ」が一般的な解釈上では文化的な階段を踏んできて発見されたものであると思えるが、中国はまさにその方式に従って染色が発展していったものである。ところが日本などではやや事情が違っていて、すなわち日本は、まだほんの原始染色の時代、つまりいろいろの色の材料で摺こむ摺染をやっていたような時代に中国との交通が開けて交流し、その進んだ染色文化が急に日本に流れこんできたのである。従って日本では、薬物の利用から浸染に入るような初期浸染時代ともよぶべき時代経ないで、藍染とか、あるいは榛の木(はんのき)のようなタンニン剤による黒染めまたは茶染めとかいうようなものが、いきなり日本の染色界を賑わしたというわけであろうと推測される。話が変わるが、それでは初期浸染時代とよぶような染色から、やがて後に灰汁媒染(あくばいせん)や鉄媒染とかいうような、いわゆるより染色が安定して染色できる媒染剤による染色のような、一歩進んだ染色 がどうして発見されたのか?という疑問がある。諸説あげられるが、灰汁は、古くから布の漂白や着物の洗濯、あるいは体の垢を落とすのに広く灰汁が使われてきたことから来ていて、何らかの形(機会)で、その灰汁と薬材の液が一緒になって、ここにはじめて美しい色が出くることに気がついたと考える説が近い気がする。鉄媒染についも、同じく何らかの形(機会)の説があてはめられる。鉄媒染では黒染めに欠かせない染色法であるが、櫟(クヌギ)の実とか、榛の木の実(はんのきのみ)、つまりヤシャブシのようなものを、薬として煎じて飲む場合、その容器に鉄器のようなものをうつわにして使ったことから、この方法で黒い色が出ることを知ったであろうと考えられる。これらの方法は日本で自然に発見される前に、前記したように中国から教えられたものであろうとも考えられる。より鉄分の多い天然水に浸して鉄媒染を行なうことは、日本全国各地でおこなったのが、実際にいろいろの試行錯誤の結果、例えば奄美大島の田んぼ泥水 が最適となり大島紬泥染めの黒が誕生という説がもっともな文化経過であろうと推測する。また化学方程式や化学記号もないころであり、染色大発見にもほかならないが、このころ染色理論が徹底して表記できる高度な染色理論は認知されておらず一見未熟におもえるが素晴らしくのちに染色が進歩していく過程の文化であろうと信じおもえる。
原始布架空論(1) 原始的織機についての推測のまとめ
2015.12.11 記録原始布架空論(1) 原始的織機について
おもいをはせてみる染織について
北村陵 作成