伊勢型紙と木版捺染と平安時代末期から室町時代  結城図書館調べ
染革(絵革)の始まったのはいつ頃かはよく分かっていない。しかし、それが盛んになったのは多分、平安時代の終わり頃からの、武家政治になるあたりからのことであろうかと思われる。要するに鎧や冑の製作に、縅(おどし)やあるいはその他の装飾用の絵革を必要になってからのことではないかと考えられる。染革としては古くはすでに「令義解」に「鳥皮」すなわち「くりかわ」(実際には漢字表記)の記録があり、また、「延喜式」には「雑染革」として紫、緋などの色染の革の他、絞染の革や、あるいは画革などのことも載ってはいるが、しかし何といってもそれが盛んに作られるようになったのは、前記のように武具の製作が盛んになった、源平時代のあたりであろうかと思われる。この画革のことで特に注意を要する問題は、それが主として木版捺染(版木捺染)によったものであるということである。学者によってはこの平安時代末期からの画革が、版木によったものではなくて、それは型紙による摺染であると考えられている人がいる。古い遺物をみてみるとそんなふうにもみえるという考察からで確かなことは誰にも分かっていない。引化二年(1845)に出版された、画革の専門書『革究図考』によって、古い絵革(画革)は版木によってできたものであると考えられている学者がいる。すなわちこの本によると、例の有名な「天平革」や「正平革」のような古い画革は、すべてその模様の「板 はん」があったように記されている。おそらくはそれは木版であって、型紙ではあるまいと思われる。日本には古くから「 蛮絵 ばんえ」の袍と称するものが知られていて、それは明らかに版木捺染である。この画革の染色はその流れを引いているものであって、おそらくは同じく版木捺染であろう。武家時代になって盛んになったこの版木捺染の画革の製作は、そのために木版彫刻の技術を発達させて、やがては伊勢暦の木版印刷となり、ひいては白子の型紙彫の技術にまで発展していったものとみている。前記の『革究図考』に、南朝の正平年中に正平革別板を彫ったことや、あるいは『軍器考 』という本に、南朝領であった紀州(紀伊の国)の矢田の庄から後にそれらの「板」を足利義満公に進上したようなことが書いてあるが、このことから考えて、南朝領であった紀州に早くから画革の木版印刷となり、ひいては伊勢の白子の型紙彫の製作(制作)にまで発展して来たのではないだろうかというのが結論である。型紙の出現は画革の木版彫を契機として、その後にそれが更に伊勢暦、伊勢型紙と発展していったものと考えられ、従って型紙の出現はおそらくはその後のことであり、それが一般化された時代は、室町時代中期以降あたりではあるまいかと考えられている。
おもいをはせる染織3
おもいをはせる染織4終わり