おもいをはせる染織4について 
室町・江戸時代の模様染
平安時代は、以前の浸染染色原始論考察などで述べてきたように、日本の染色文化が最高潮に達した、誠に目覚ましい時代ではあったが、しかしその染色は技法の面での素晴らしさであり、また色彩の使い方はもっぱらある着物とそれに重ねて着る着物との両方の色の調和の問題であって、一枚の着物それ自身は、各種の無地染めの色のものであって、織模様(紋織)はあっても、色模様を染め出したものや、あるいは色模様を織り出したものは盛んにならなかったようである。その点、飛鳥・天平時代にくらべて、錦やその他の染模様のような、多彩な、そして絢爛(けんらん)たるものはむしろ少なかったことと思われる。当時の遺物が少ないのでよくわからないものがあるが平安時代は模様の世界ではなくて、色の世界であったということができよう。これに対して、次の室町時代は、まさに色模様の時代である。周知のように、室町時代に入り、足利義満の頃になると、明(みん)との交通をはじめとして、南方諸国との交易も盛んになりだして、金襴、 銀爛、どんす、あるいは更紗(さらさ)、縞(古くは島と書く)、もしくは絣(飛白とも書く)など、中国ないし南方諸地方の色模様または色模様染が次々と日本に流れこみ、ここに模様ものの愛好が時とともに高まっていったと思われる。すなわち、飛鳥・天平時代以来の色模様の再興の時代をもたらしたわけである。これが契機となって、日本における型紙捺染の出現、隆盛を見るようになったもと思われる。明石染人さんは、この型紙のことについて、正倉院宝物中の例の鳥の絵の摺文が、技術的にみて型紙捺染としか思えないという新説を発表された。画革の板(はん)は木版であり、従って画革は型紙捺染ではなくて木版捺染であると考えており、そしてその後に型紙捺染が生まれたと考えているので、天平時代の型紙捺染のことは、どうも賛意するわけにはいかないようである。室町時代の型紙捺染による模様の大様は、かの有名な『職人絵尽』によっておよそ知ることができようかと思われる。この絵は喜多院所蔵のもので、確実に何時代 とは言えないかもしれないが、とにかく室町時代末期から江戸時代初期の型紙捺染の実況は、その中の「型置師」の絵によってかなり明瞭であろう。模様は更紗風である。それが、やがて絵の上手な、扇画工友禅斎が出て、模様染の下絵あるいは手描きの模様を巧みに描いて、その作品が一世風靡したということになるわけである。それが江戸時代の染色のひとつの画期的な出来事ともいえようかと思われる。