思いをはせる染織5について
友禅斎の登場とその後の日本の染色の基盤
友禅染というのは言うまでもなく一種の模様染のことである。それは友禅斎の名に因んだものであることは明らかである。宮崎友禅が活躍したのは江戸中期の天和、貞享、元禄、宝永のあたりであるというから、いまのように、一般に模様染のことを友禅染(友染)と言うようになったのは、その頃かまたその後のことであろう。友禅染について、その方の専門家、上野佐江子さんの発表したものをみると、貞享四年(1687)刊の『源氏ひながた』に、「友禅染」、「かが染」、あるいは「ゆうぜんぞめ」という名称がはじめて現れているということである。そして、明和五年(1768)に刊行された『雛形春日山』になると、「加賀友禅」という名も現れているという。なお、貞享五年の『友禅ひいながた』には「友禅流」という名前も見えており、また嘉永六年(1853)の『守貞漫稿』には、別に「友泉染」とも記し、更にまたその説明に、「画くが如く染める」模様染を、一般に「友泉染」と総称したようにも書いているので、はじめの型置師の頃の更紗風のものとは違 って、友禅染と称する方のものは、かなり絵画風の模様に変わっていったことがわかるようである。とにかくこのようにして、室町時代から盛んになり出してきた模様染の愛好の波に乗って、初期の型紙捺染からやがて江戸時代の友禅染とがともに盛んになって来て、ついに明治時代を迎え、更にその後、合成染料の輸入とうつし糊の発明とによって、年とともに型紙捺染が圧倒的に盛大になって来たということになるようである。ただひとつ残念なことは、この合成染料の使用によって、明治の染色が一時退歩の一途をたどったということである。それはこの染料の染色の鮮やかさにまどわされて、それをうまく制御することを忘れ、ケバケバした染色に走ったからであった。天然染料は、その成分の複雑さからくる色相の複雑さがあり、このための配色がその染色に深みをもたせ、落ち着いたふっくりとした、しかも濁らない、いうところの渋い色の染色となってくれる訳である。この渋い色のよさは、欧米の人達にわかりにくい「わびさび」とでもいえばいいのか日本人によってわかる感覚である。欧米の人は我々日本人のように渋い色とくすんだ色(黒味の加わった濁った色)との区別がわからない。従って19世紀後半頃に合成染料が発明されると、たちまちそれに変わってしまって、天然染料のよさを考えようともしなかった訳である。しかし、日本人はもともといい目をもっている。従って大正時代の終わり頃から天然染料のよさを強調し、天然染料を重んじる染色家ならび染織家がよさを強調するとそれがわかってきて、天然染料の主張に賛同していった。(染織ブームはこのあたりは火つけ役の役割があったと下地になっている部分はあると思われる。)そしてその天然染料による染色(草木染ともいう)の色のよさを、一般的には合成染料の巧みな配合によって出すべきであるとした考えもでき始める。このために、日本の染色の美しさは、今や世界に冠たるものにまで発展して来たのである。