素朴な味のざざんざ織   中江克己
素朴な味のざざんざ織結城紬が手仕事の繊細さを追求した典型とすれば、ざざんざ織はざっくりとした素朴な味を持つ紬の、一つの典型といえるだろう。初めてざざんざ織を見たとき、一瞬これが着物の布かと、わが目を疑ったほどだが、それというのも、素材は絹なのに、ウールのような感触があって、洋服にしてもおかしくないように見えたからである。柄も縞と格子が主体で、たとえば薄い紫の地に赤、青、鼠などの細かい縞が入り混じったものなどは、ワンピースに仕立てても、しゃれた感じになるだろう。紺地に白の点々で二重の格子柄を織り出し、その格子の真ん中に花びらのような形を作りながら、赤の点々が連らなり緯縞になっているものは、コートにでもすればよいのだろうか。そして、赤といい青といっても、決して派手な色ではなく、全体に渋い色調で、いかにも民芸織物らしい雰囲気を身につけている。ざざんざ織は手織紬なのだが、着物の織物として、きわめてユニークなものである。ところで、この「ざざんざ」という名に、珍しさを感ずる人も多いだろう。「広辞苑」をひいてみると「ざんざめくさま。うたいさわぐさま」とあり、狂言「茶壺」の「浜松の音はざざんざ」を例にあげている。現在、浜松の八幡神社横に「ざざんざの松」という石碑が建てられているが、この「浜松の音はざざんざ」とうたったのは室町幕府の六代将軍足利義教(1394〜1441)だという。織物の名はこれによったものだ。ざざんざ織は今から40年前、浜松の平松実氏が創案し、現在は息子の哲司に受け継がれている。浜松は古くから織物の盛んな土地で、遠州織物の名は戦前まで代表的な木綿織物として知られていた。平松家も代々この遠州木綿の織屋だったという。ところが第一次大戦後、経済不況の波をもろにかぶり、遠州木綿も大きな打撃を受けた。木綿の機屋にあきたらなかった実氏は、それをきっかけに柳宗悦らの民藝運動に参加、機械織りから離れて、手織りを始めたのである。近代化に逆行する改革といってよく、つまりは民藝運動へ参加したことが契機となって手仕事にめざめ、このユニークな手織紬が誕生したわけだ。糸は節のある玉糸と、真綿から手引きして紡いだ太い糸を使う。見るからに素朴な感じで、それがまた大きな特徴になっている。太いだけに、使用する糸の量も当然、多い。普通の倍くらいあるというから重くてかなわないのではないかと思ったが、単で着るから普通のものとそれほど着た感じは違わないらしい。しかし、糸の精錬を丹念に行なうので、目減りが大変な量になる。といって精錬を適当にすませると、絹特有の艶が得られない。艶のあるしなやかな糸を使ってこそ、独特な風合が生まれるわけである。厚手の独特の地風を作り出すには、大変な苦労が必要なのだ。同じように糸染めも念入りに行なう。しかも糸が太いから時間がかかる。染め職人がかかりっきりで、数時間も染めるのだという。主に植物染料で染め、カラフルな縞柄を丹念に手織りで織り出す。経糸を機にかける前に整経という準備作業がある。普通は整経機で行なうが、手作業にしても横に寝かせた形の整経台を使う。だが、平松家では縦型の整経台で、これも珍しい。前に述べたように織り上げられた布の色調は渋く、むしろ重々しい感じだが、ウールのような風合とともに、ざざんざという響きに似つかわしい。いずれにせよ、ざざんざ織は実用的で、これで仕立てた着物は少しくらいの雨に濡れてもあわてる必要がない。雨が水玉になって、ころがり落ちるのだ。しかも、着物に限らず、羽織やコート、帯地などのほか、テーブルクロス、ネクタイなどと広く利用され素朴な美を発揮しながら新しい伝統をつくりつつある。