エッセイ 1980年のつむぎ
1980年のつむぎエッセイ・本場結城紬の染色は色見本をみると莫大である、ということをきたことがある方はいるかと思います。染色の色見本はどれくらいあるのか、と私は親に質問したことがあり、多すぎて数えられないんじゃないかな紺屋にきいてみな、と言われた記憶がある。染色を専門におこなう場所をむかしからコウヤ(紺屋)とよぶ。そこには私が見習いはじめて絣でなんとか職人の道に入ったときから紺屋に糸を染めてもらうため、あっちの紺屋、こっちの紺屋と車で行ったり来たりしていた。自宅に染めてもらった糸を絣にしていくのである。染色の後継者は私のほかにようやく1人、またこの道に入った後継者がでてきた。彼のあとは私とは年が離れすぎてどんな環境でどんな感じで生きてきたのかはもうわからなくなっているかもしれない。いまや平成生まれというだけでえらく環境のギャップを感じる。1980年度の本場結城紬の年間生産反数は統計でピークをしめしており30000反をこえている。約5年あとは半分の15000反になるが、1980年のピークをむかえるまで統計では年々増え続け、染色をしてきた統計学的な視点からすると親に質問した、染色の色見本はどれくらいあるのか数えられないほどである、というのもなんとなく統計からもよみとれることだった。さらに染色の研究を重ねて色の配合を研究するなどの染色の職人の努力からすれば、数えきれない色見本、も納得のいくものである。私が見習いはじめたころ、絣括りはやるが、まさか自分で染めていかないといけない環境になっている、とは思ってもみないことだった。私はふと、絣がなくなった場合を想定することすらある。染色2017現況続き