暖か味のある津軽こぎん 風土が生んだ津軽こぎん 大林しげる
素朴で、豊かな資源に恵まれているとはいえない津軽は、日本列島、本州の最北端部に位置する農産地帯。暗い冬は長く、深い雪に閉ざされているばかりか、しばしば冷害に見舞われ、さらには藩政の厳しい掟によって抑圧された忍苦と貧困に苛まれた生活。その生活の歴史のなかで、人々は風土と共に不撓の「土根性」を培い育てた。その土根性が優れた刺し子の伝統を生み育てたのである。昔、木綿は海路はるかに船で運ばれ、津軽藩内に「輸入」された。木綿は膚にさらっとした感触でしかも温かく、持ちも長く丈夫で、縫いやすい布地として貴重であった。だが、この輸入は運賃もかかることとて非常に高価であったうえ、津軽藩は藩財政を確保する立場から農民の木綿着用を固く禁じて、藩財貨の流失を防いだ。代わりに麻を栽培させて手で織らせ、それを衣類として使うように命じたのである。だから麻の布地は、農民が自ら好んで選び用いた衣料ではない。麻は唯一の農民に許された衣料であった。そのため、それが晴着であり、また仕事着ともなったのである。藩が麻を衣料として用いさせたのは、苧麻も藍も古くからこの地方に自生していたからである。やがて大麻も農民たちによって栽培されるようになり、必要をまかなうだけでは生産された。だが、春に種を蒔いて夏の終期に刈りとり、ていねいに繊維をとり出して機にかけ、それを布地にできるのは正月の、冬を迎えての後ということになる。これは実にたいへんなことであり、一年がかりの労作業であった。しかし、長い労作業の賜物なのに、麻は切れやすく傷つきやすい。引く力は丈夫でも、麻だけの手織り布地は意外に弱い。激しい野良仕事ではなおさらのことである。貴重な衣料は、なんとしてでも永持ちさせねばならなかった。破れ傷めば、つくろわねばならない。着てまもなくつくろうことになるならば、着る前からつくろっておいたほうがよい、手刺しは、このような考えから布地を補強する方法として考え出された。切実な現実生活から希求が知恵を生んだのである。さらに、藍で紺に染め上げると、布地を強めることができるとわかった。色もよい。麻の布地を一枚もので用いりよりは、刺して二重にしただけで丈夫になり、温かさも増す。はじめは細い麻糸を刺していた。紺に染めた麻布地に、生の色の麻色を刺せば糸の交差や自然の色調の違いから、そこには自然の文様が生まれてこよう。また、津軽藩の潘令(文化5年、農家倹約分限令)で、異形・華美にわたり、紅差し入れ等罷りならぬと禁じた苛酷さがかえって幸いとなり、紺と白との対比の美を守りつづけることとなった。手刺しのくりかえしと伝承が「こぎん模様」を育てたのである。津軽娘は伝承の手法に忠実で、刺しの刺目の数えも厳しく、親たちはまた、よりよい、よりきれいなこぎんを嫁入り衣服や持参品として持たせることを願い、嫁入りすれば牛馬同様の働き手となってしまうからには、嫁時代にはせめてこぎんを刺させてとの願いもあって、こぎんづくりに励ませた。