古書現代3rd

古書現代1st

古書現代2nd

2016.12.31で200冊ほど本紹介をおこない、新たに201冊から300冊を紹介していく。いままでのスタイルは一冊の自腹金額を 設定しなかったり、借りたりしておこなっていたり、休日も調べてすすめてきたが、今回はゆったりすすめて完成させようかと思う。完成はいつになるかわからない。約1冊1000円程度の資料にしようかとも思う。染織資料は専門書にあたり安くないので結構な資金がかかってしまう。あと、調べは地獄のような辛さ(投資金 時間)がかかり、真似をするならほどほどに資料を読むスタイルを推奨する

古書現代3rd

人の考え方や文化が更に変わろうとする今、もう一度日本的生産技術を見つめ直し、そして各々の技術を記録保存し、次世代に継承し、現代社会の中へ積極的な活用や活動、教育現場への手助けとなることを考えている。 ここで《日本の手わざ》という本の刊行によせて という文章に、現役の伝統工芸士である私が深く共感と基礎的な意図がふさわしいものがあったのでそれをはじめに引用したい。これは私が組み立てた古書現代1st、2ndにも共通して共感を強くするものであった。引用:敗戦によって打ちひしがれた日本は、多くの人たちの予想を上回る驚異的な経済発展を遂げた。その中心は輸出産業で、やがて小型で性能に優れ、アフターケアの行き届いた日本の工業製品は日本的経営、日本的生産技術とともに世界に伸びていった。その中でより高い生活への嗜好が芽生え、余暇や生涯設計に多くの人たちの関心が集まった。昭和40年代に入ると急激な生産拡大のひずみとして公害問題が顕著化するものの、昭和45年(1970)の日本万国博覧会の頃までは経済成長を謳歌(おうか)していた時期であった。この高度経済成長期は、モノの急激な増加にとどまらず、人の考えや文化に大きな変化が起こった時期である。この時期に公布されたのが「伝産法(伝統的工芸品産業の振興に関する法律)」(昭和49年)で、当時の高度経済成長の中で安価な工業製品が大量に出回り始め、それまでの在来の生活用品や技術が社会的役割を失いつつあった状況中で制定された。これは、一定の地域で主として伝統的な技術または技法等を用いて製造される伝統的工芸品が、人びとの生活の中で育まれ受け継がれてきたこと、及び将来もそれが存在し続ける基盤があることにかんがみ、このような伝統的工芸品産業の振興を図り、もって国民経済の健全な発展に貢献することを目的としていた。戦前の日本は、軽工業品の輸出が大きな柱の一つであった。生糸、絹、織物がその代表的なものであったが、そのほか全国の地場産業で作られる工芸品(例えば陶磁器、漆器など)も輸出の重要な構成品となっていた。『新訂 生活文化論』中村たかを(国立民族学博物館 名誉教授)・植田啓司・坪郷英彦共著(小社刊)より抜粋 以上

微力ながらも継続していく 北村陵

 

本 タイトル 著者 /共著 評と本紹介
日本染織芸術叢書 紋織1  西村兵部 (シリーズ全10巻) このシリーズは昭和50年に世に出回ることになった。バブル崩壊をむかえる日本のちょっと前の誰もが資金などではうかれている、または土地が値下がることなど考えもしない時期であった。それで研究者は研究にあけくれ、研究内容も充実のものをみせているのは本の解説で一目瞭然である。古書現代2ndでこのシリーズのこの本のみ掲載忘れで古書現代3rdにてカバーした。日本の染織は、日本経済の景気と無縁ではないことのように思われる。深い低迷をすれば染織も迷走しはじめ着地点がわからなくなる。私は古い染織資料をとおして、よんだら余計に混乱してわけがわからなくなった時があった。いっそう調べるべきではないものだったのかと思うときもあった。しかし、時間が経過すると再び、資料整理し、まだよんでいない人へ本紹介している。もっとシンプルに伝えるべきかもしれないがまとめるちからをお察しいただいて、私なりの研究を続けたい。

ふるさとを見直す絵本3

おかいこさま

むかしの

「蚕飼い(かいこがい)」

文・みなみ信州農業協同組合

絵・肥後耕寿

機械化、大量飼育をされていなかった明治、大正、昭和初期の「蚕飼い」の話を通じて、先人の苦労と知恵を学び自給自足の大切さと「くみあい」設立の原点を考える一助にしたい、という企画で、物語は地方の方言がおしみなく会話で登場し、方言の意味が絵本中の下記に意訳がでてくるがそれが協力をいただいた方が60歳から85歳の方からより深い取材で物語が構築されていったのであろう。とくに私が共感をえる文章を引用すると 子供の頃はお婆さんの糸とりやハタ織りをしているそばで遊ぶもんだなむし というところである。私は小学校1年でとなりに住む幼馴染がいた。お互い場所が場所だけにいききも多かった。その子と遊ぶと私の自宅では、人が全然いない母屋とひとが集まる仕事場になっていて、ちょっとした学校の宿題は、母が機音をたてて仕事をしていてそのそばに二人ならび、宿題をよんでは問題を出してもらったりしていた。家内制手工業のまえに自給自足の形というのは私の祖父祖母は自宅よこの畑でとうもろこしや大根を育てていて夕暮れまで姿があって家に帰ってくるまえに、私をよぶ声がしたものだ。そんな世代はもういなくなろうとしている。 
科学のアルバム

カイコまゆからまゆまで

岸田功 染織資料は、仕事の延長にあるように思えてくるがこうした図鑑や絹に関しての絵本などの資料は、小さな子供に説明するときにチカラを発揮する。私の頭脳も小難しいものやかなり難しい研究資料よりこうした資料のほうが好きなものですから、自然と集めてしまっているのかもしれません。カイコについてどれくらい知っていますか、ときかれれば、現在はカイコさんを育てて仕事にしている人が近くにはいない、ということと、あまりにもカイコを育てる仕事は重労働である、というくらいだろうか。カイコは1000mの一本の糸でできていて、結城紬では、まずカイコを成分でみるとセリシンとフィブロインというものでできていて、結城紬はセリシンをはずしてしまって原料がつくられる。この資料では著者が科学者であるので実験と工夫でおもしろく興味がわくような仕組みでできている。小さなお子さんがいればこの本を読んであげて本中の写真をみせて説明していけば、なかなか知らないような不思議にふれたようで大喜びするのではないかと思う。

布仕事

染色技法と新発想の布表現まで

金子利代 著者は約40年にわたり手仕事、ものづくりに関われたことがとても貴重なものだったという。現在は講師のお仕事をしているのだろうか、詳しくは知らないが、染めの技法をざっくりと知りたい場合はこの染めの資料がいいのではないだろうか、というのが私の意見である。草木染めが彼女の強みであり、藍染、紅花染、紫根染の3つはとくに私の想像こえた染めをうみだしたのだという。草木染めを実際に行っている人はその1つ1つが果てしない技術や経験、知識、とくに一生をかけて取り組んでいる人は少なくないように思う。私も藍染をやってみたいがいつになるかは自分でもわからない。資金も仕事にすれば腐敗などの失敗率を考えると容易に取り組める分野ではないことは確かである。  
手縫い文化の探求・手ぬい職人のカンどころ 熊谷フサ子 Twitterで藍甕のおつうさんから拝借したものであるが、図書館に寄贈しようとして拒まれたとのことだが、中身はしっかりしている。例えば、過去の月刊染織α(アルファ)とつくりが似ているが、中身がしっかりしていても月刊染織αも図書館に寄贈しようとして拒まれるのと同じで利用者の少ない専門分野でたとえ高評価で高内容であったとしても図書館は利用者の数を優先する。とくに後半の寸法付き図解は、絣の職人である私の立場からみるととてつもなく絣の価値があり、その絣の価値が高いというのを全然知らない人に伝えるにはどうしたらいいか、とかとにかく言い続けるしかないみたいな雰囲気がある。この著書は本のタイトルに決して絣とはうって出ていない。ただ絣を仕事にしている人がみたら著者は目がこえているんじゃないかとかそういうカンどころでみてしまう。
そだててあそぼうカイコの絵本 

え もとくにこ

へん きうちまこと

この絵本シリーズには敬意をはらっている。構成、ポイント、センス、技術それらが総合されて絵本の洗練と完成度をはじめて形成し把握することができる。その内容に私がこの絵本シリーズに敬意をはらっている理由だ。限定されたなかで様々な工夫がページごとにあとで覆らない研究成果と質をそつなくうみ、大人になってからでも充分にたのしめる内容をつくりだしている。過去をあさっていいことは少ないがそこにも確かな流れとかそういうものがあったりする。カイコが繭をつくりそれを人間が加工し、絹のもつ特長をいかす…絹を通じて現代の人々がたくさんのひとと知り合う、話す、書く。繭は大きな繭をつくるカイコを選び、時代をかさねるごとに品種改良されていった。江戸時代のものと現代のものでは大きさも異なり現代のほうがはるかにでかい。メンデルの法則という親の性質がどのように子どもに伝わるかという法則が発見され急激な品種改良が進んだ。それはカイコも同じということだろう。カイコの図鑑などをみてきたが知れば知るほど、ひとつの分野を研究したり極めることって大変な作業だって思うようになった。私は伝統工芸にみをおいて13年あまり、資格はえたがまだ何かを極めたとはいえないし、何者でもないもどかしさに挟まれている。
西陣織 伝承の技

切畑健

松尾弘子

西陣の職人さんが2017年になってダブルワークと今後どうやって生きればいいかわからないというだけでなく、どうやって生きればいいかと自分に問うことも知らない大概の若者を相手にひともんちゃくがあった。単純に高度経済成長で成長の波に遅れた伝統工芸は、その分野で特殊なスキルをみにつけていても困窮を極めるという行末では若者はついてくるはずがない。インターネットの環境が整い現場や生産をあまり把握してない匿名者がSNSで忽然と登場しやすくなっている。現状はその程度だ。西陣織は日本の染織を代表するものだった。技術が海外に流れやすい技術であったというのが最大の弱点で海外流出が国内の生産者を苦しめている。西陣は応仁の乱のあと、ほとんど焼土と化した京の地に新しく復活した織物をさす。過去の西陣はどのような経緯をたどりいまに至るのかを知るためであれば資料に目を通すことに意味があるだろう。西陣織についてはリアルタイムでサバイバルしているユーザーをチェックするのが現状把握には効果的だろう。西陣織も結城紬もときと場所によっては高級な自動車と値段ではりあうような織物だ。私はダブルワークはスタンダードになると思う。どうやったら成功するかを考えないと成功はしない。成功している人はどうしているかも考えたり研究しなければいずれそういう人は忘れ去られると思う。西陣織も結城紬もときにはとんでもない値段のものと比べられる宿命があるが、どういう需要に答えるか、層に訴えるか、ターゲットにするのかもこれから重要な戦略のひとつになると思う。問題は簡単ではないがそのなかでサバイバルに勝ち抜いていくしかない。泥臭い苦労人が尊い、お金持ちこそ成功、のふたつのカタログ化した価値観しか示せない日本はめんどうで他の価値観や生き方を開拓しようとしないのだろうか。 
結城紬シリーズ染織風土記 

坂入了

中江克己

石崎三郎

鈴木たい

北村敏雄

北条きの

インタビュー形式のもので語り口調の文章でそれが結城紬に携わる職人の考えやその時の流れていた時間とかそういうものを記録したかったと思われる。北村敏雄というのは私の祖父ですでにこの世を去っている。私にとってはもう祖父と結城紬についていまになって語りたいこともあるのもたしかであるが私が10代の頃にあの世にいってしまっていたので語りたいといっても無理である。カラー写真記録でないが画像も昭和の結城紬の作業風景、作業を封印しているし、私がホームページで説明していることと基本的に昔から今も変わっていないということだ。手に入る環境があれば手に入れておくことをすすめる、というのも内容がとてもいいし昭和の記録はいっぱいあるようで意外とないからである。ここでは祖父が本に登場しているのでどうしても祖父の姿を思い出してしまう。つむぎ、ありがとう いいこともわるいことも長くは続かない、でもつむぎ、ありがとう。これが私と祖父の本音だろう。
日本の手わざ 長板中形    長板中形、中形というとどうしても浴衣なんかが思い浮かべられます。藍染が日本に広まって定着して、白無地の木綿などを藍の染液に浸して染めます。この浸して染める浸染で藍染で染めてなおかつ、人間には欲がありますからどうしても柄が欲しくなったりして知恵をしぼり、浴衣といえば藍染の色と白でそこに柄があってさっそうとあるく女性がいたらどんなにいいことか、そういう小さなアイデアが大きく染色技法を発達させたといって過言ではない気が致します。しかも浴衣で染めも型をつくって量産できれば、それだけでも、決して豊かな生活ではないその時代の庶民のころもの柄を変化させ同時に楽しんでもらえる。それが長板中形の存在の大きなところ。興味がある方は本を読んでもらいたい、この日本の手わざというシリーズは文章も少なくてわかりやすいのでオススメである。ただ値段が安くなはいのがなんとも人気の高さといえそうだ。
日本の手わざ 久米島紬    久米島紬が国の重要無形文化財の指定を受けた織物である、と定義したのはここ最近とでもいえばいいのか、平成になってからで国の重要無形文化財の指定を受けているものは基本的には文化的価値がしっかり定義できるくらいの歴史をすでに蓄積しているといっていいのでこの日本の手わざ久米島紬が編集されたとき(1973-1977)はまだ指定がかかっていなかった。草木染めで染める、絣も草木染めのもの、糸は人が道具でつむぎだしたもの、で紬の基本的な工程は海外から染織技術を貿易とともに伝わったものがそのまま現在も続いている。一説では織は高機織りである現在ではなく地機織りであったという説がある。結城紬との違いを述べてくれといわれれば、久米島紬は草木染めと草木染め絣で結城紬は草木染めから化学染めで堅牢な染めの上に成り立つ細かい絣をつくるようになったことの染色方法の違いと手織でも織り機が若干ことなるところで最初から最後まで手作業でつくられているのでむしろ違いより共通点から少ない共通でないものをはじき出すほうがはやい。私は草木染めの結城紬は常陸紬という結城紬の母体となる歴史から草木染めは染色として認める方向なので、非常に似た紬であると結城紬と久米島紬はいえると考える。絣模様でも沖縄から日本全土に伝わっていったため琉球の絣とその産地の絣などの違いもあるがここではとくに述べない。
きものと私  大塚末子 この本は古いものだなぁというのが印刷の活字から伝わったのでまずは本の裏で出版されたのはいつか調べてみると昭和33年3月1日とあるので、結城紬が国の重要無形文化財の指定をうけて約2年後の頃である。この頃、私の家では当時記録した写真があるのでご覧いただきたい。昭和41年の結城・北村織物 さてしっかりとした織物で外装に金をかけるとはなかなか中身にもそれなりの自信がなければ女性でもやらないことなので期待したが期待通りの中身であった。不世出の版画家・棟方志功、濱田庄司、河井寛次郎、などの民芸の神様とよばれる人びとが出入りしていたというので風呂敷一枚包んで出直した人生の成功者とはどんな女なのか、またときとして幸田文のきものという小説に似た雰囲気がある。この本は当時の男性は恥ずかしくて小さく小綺麗な女性の手にフィットする本は読めなかっただろうと思う。きものについて調べているとマニアックなものに出会うことがあるのでその感動的喜びを忘れてはいけないなぁと思う。 
「柄」きものと帯【visual】 浦沢月子 この本は浦沢月子さんの晩年の著書である。6代目銀座紬屋吉平の夫の奥さん、つまりは6代目にあたるのが浦沢月子さんである。基本的には雑誌のように視覚的な写真とそれを説明していく感じである。TPOの装いの解説の親切さはずば抜けている。1999年の出版であるが古さを感じさせない基本がおさまっている。例えばこれから着物を学ぶという場合、まずは1冊を手にして、文様の話しが出てわからない場合、文様の専門書を買うというスタイルになる。現代であればインターネット環境が整っていれば、わからないことは検索して言葉をキーワードに自力で探すことができる。私は正直、着物を勉強していくうちに、ほんのわずかな時間にしか生きていないこととそれまでの歴史の蓄積がいかに莫大なものだったのかというのがわかり無力感におそわれてきた。それもそうで奈良時代とか、はるか昔のことでありことこまかに先人が文章や絵などで記録してきたその後の世代を思う記録こそ日本の素晴らしさだと思う。パリを訪れるとなにものにもなっていない人にはしんどい都市だといわれる。日本にはまだそこまで冷酷で残酷な都市はない。私は何を言っているのかと思われるかもしれないがパリの建築や文化をみるとなぜか日本の文化の嘘みたいなものを感じてしまう。それがなぜかはわからない。
手織り大全  箕輪直子  1m超の大きな布まで織れる高機から、手軽にはじめられる卓上織機までさまざまなタイプの織機を解説。複雑な織り技法も卓上織機で織り出す方法まで紹介する。カラーの織り図とともにその織り技法を使った作品を掲載しているので、すぐに実用的な作品に生かせます。と、まぁ本のはじめに書いてあるようにいつもながら箕輪さんの親切さが伝わる。エクセルというMicrosoftの本来デザインソフトではないもので織り図をつくれますよ、といった具合に初心者にはもってこいの説明もあるし、難しいことを考えず、身近なパソコンソフトでまずは始めましょうね、という感じだ。裂き織り大全、草木染め大全も私はそろえたのであるが、カラーでみやすく、しかも知りたい部分を教えるという不親切な著書とは違う点である。肝心な部分を書かない本はいがいとあって、そういう意味で箕輪さんの作品群は親切だと、私は言っているのである。あえて全部書かずに謎めかしさを残す女性より、全面的に情報を押し出すから箕輪さんの方がそういう女性より好感が持てる。
西陣文様事典  いとう喜一  パラパラパラっと本全体をみて私は随分と文様はあるものだと思った。文様の資料でもいまや格安で手に入り、これは染織家にとってはいい流れではないだろうか。送料を入れて300円程度であった。本は新品で1456円したもので実際にはそれ以上の大変な編集や手間を考えると頭が上がらない。割付文様で44種、自然文様で9種、植物文様で20種、秋草文様で8種、唐草文様で8種、蜀江文様で4種、鳥文様で6種、蝶文様で4種、丸(円)文様で8種、器物文様で17種の文様を図案化して紹介。これは結城紬の絣図案化もできるという貴重資料でもあるのである。たしかに自分の欲しい資料だけ集めているわけでもないが、それが想像以上の資料のときとてつもない発見をした、というかすかな自分の喜びを感じ、誰かに伝えたいという気にさせてくれるので染織資料蒐集はまだ未知数な面白みが私にはある。なぜ、あなたは正直に書いたり言ったりする動画や記事を書くのか、ときかれたことがある。なぜ正直なのかといえば自分の残酷さと限界を知っているからである。 
織ひとすじ 西陣織兄弟、
二百歳の志 千年の技

山口伊太郎

山口安次郎 共著

兄弟で二百歳という月日を西陣織にかけてきた凄まじい本である。生涯現役の秘訣を読みとろうとする時、また定年後どうしたらいいのか、といえば彼らは染織活動、兄・伊太郎さんは西陣織で源氏物語を再現すると決意したのが70歳、弟・安次郎さんは能装束の復元に賭けることを決めたのが55歳、会社勤めの人がこれから新しいことに取り組み始めようとするとき、決してそれが何であれ遅くはないといったことを述べている。西陣織というと能装束はほとんどの場合、西陣織の美しい織物でできているわけで、それは現在においてもまったく同じである。最近NHKの美の壺で西陣織の番組があったが、手間のかけ方がものすごく、外国の人がこれが織物ですといったらにわかに信じられないようなことをやっているのである。私は西陣に詳しくはないが文体のみを追ってきて、実際の西陣織の映像でみてそこにひっくり返るような衝撃もあった。爪の先をクシのようにして毎日ケアし、一本一本糸をその独特なクシ状にケアされた爪でそろえて織るようなとてつもない職人技の結晶であったがためにしばしその姿の映像をみて終始無言であった。果てしない技術の探求の末にだけに成り立つ値段ではない世界。なくなってほしくはない。誰もがそう思う。西陣織は現在、職人さんが育ちにくいという結城と変わらないような背景がある。私はぼう然と結城紬はどうなってしまうのだろうか私がいなくてもやはり少なくなっても結城紬は続くのではないかという思いもあり、にわかに染織は日本が誇る高い技術で今後も続くのではないだろうかとかすかに次世代へ期待している。

結城紬

重要無形文化財結城紬技術保存会
  銀座紬屋吉平さんが当時の記録を残すために作った資料でじつは市販されていないことが勿体無いとしか言いようがない。昭和38年12月1日に非売品として出た。棟方志功、柳宗悦、濱田庄司など民芸運動のはじまりとそれに共感した産地が記録したものである。さて、内容は歴史をみるぶんには優れており、ちょっと結城紬の現在を私は述べたい。結城紬は基本的には夫婦で共働きで、次第に旦那は外で稼ぎ妻が織りなど全般を旦那から教えてもらい、続ける。これより状態がよくないと夫婦で紬業はやらなくなる。私の家の近くは紬業が盛んな地域であったので近所のほとんどの家々が紬業をやっていた。これは私が中学の頃、だいぶ変化した。そしていま、私の地域では4軒しか残っていない。紬業が盛んな地域でその具合である。私が思うに、丁度、私の親の世代が団塊の世代でもっとも人口が多く、そのメンバーたちがいなくなると、いっきに紬の生産数は減り、果たして結城紬は残っているのかどうかイマイチ伝わってこないという時期が必ずきて、技術の保存と伝承は急ピッチで行わなければ本当に幻、という状況がある。私はそこに残っているかどかもよくわからない。いま現在でも結城紬の伝承は組合で総力をあげて保持しようとしているが、それもまだまだはじまりにすぎなかった、なんて言う時代を迎えるかもしれない。そのときはまだひとりもいない結城紬2部門伝統工芸士になれていればいいな、なんてのんきに私は考えている。 
京都西陣、愛すればこそ 田中峰子 2000年に出版された。いま思うと私はこの頃まだ社会人ではなかった。この著書ですでに不景気であったのだ。私は1998年サッカー日本代表がフランスで開催されるワールドカップ出場をはじめて日本がキップをもぎとり、4年後には日韓でワールドカップが開催され、話がそれてしまうが世界トップクラスの豪華なサッカー選手が日本にきてプレーするというビックイベントのせいか、恥ずかしくも不景気とは無縁な浮かれたいち学生であった。同じ思いの人もいるのではないだろうか。著者は、西陣業界にふく不景気で従来からの京都の老舗があちらこちらで思い切った改革策を練り出さないといけない背景をその道の人、職業ならではの視点で描写している。それは事実だと思う。本のタイトルは京都西陣愛すればこそ であるが続くとしたらそこにだから厳しく言っている、着物は強制はしない、押し売りもしない がサブタイトルであると思う。いままさにリーマンショックのあとでまたしても似たような不景気が再びおとずれている。それが2017年の状態である。是非、着物ファンのみならずこの本を読んでもらいたい。そこには経営の本質と同時に意識改革、やさしさもこめられているからである。