<本場結城紬技術講習会2012から日下田先生は何をえて何が確信にかわったか>

日下田先生(藍染め)<2012本場結城紬技術講習会講師>についての過去の記事はこちら(私が記録したものです。)

上記を参照しないと支離滅裂になる恐れがあります。是非ご覧下さい。

日下田先生(藍染め)の文章のみの記録はこちら

上記は簡略化したものです。活字のみがいいという方はこちらを参照下さい。ただ画像がないので何がなんだか分からないかもしれません。

 

 

<日下田先生は、2012年、本場結城紬の技術講習会講師として結城紬の産地に藍染めについて伝承し、

さらに今の私の考えと今2013年4月の日下田先生には、どのような考えの差があり、いったい2012年に

結城紬の産地から何をえて、何が確信にかわったか、その活動そのものが気になっていた。 >

しかし、日下田先生が参加するジャパンブルーの活動に顔を出したものの、

実際にはあえなかった。私の父もききたいことがあったらしい。話しそのものが日下田先生は面白いのである。

 

以前、日下田先生はこんなことを文章で書かれていた。

<藍染めは、滅びゆく運命にあるのではないでしょうか。>

しかし、私が2012年の本場結城紬技術講習会で、<何年くらいで藍染めの職人はイチニンマエになるのでしょうか?>

と質問すると、<私の工房では、もうイチニンマエで独立してもいいという職人がいます。>細かい話しは忘れたが、

伝承に成功しているのに、藍染めが滅びゆくといい続けるのは矛盾しているではないか、と思いましたが、

活動は、伝承だけではないことを知る。

場所:     渡良瀬ビレッジ 

プロジェクト: WATARASE正造ブルー

田中正造没後100年の年。渡良瀬川流域では昔、木綿と藍の畑がいっぱいに広がっていたものと想像されます。そして実は、田中正造は16歳から19歳の頃に、藍染めの原料である<すくも>をつくり、藍玉を販売していたという記録があるのです。

この地で天然染料の藍を栽培して、環境問題の先駆者である田中正造の意思を少しでも受け継ぎたいと願い、没後100年の年に藍の栽培を始めます。 みなさんの御協力、ご賛同をお願いします。

NPO法人 渡良瀬ビレッジ プロジェクトパンフレット より引用

「 藍 ジャパンブルー 」
和綿でつながる美しい手仕事展

◆日にち 2013年4月19日(金)・20日(土)・21日(日)

この手仕事展の最終日に参加した。外は雨で私は地元のソフトボール大会で

日曜日が大会なのでイベントには参加できないと思っていたが、雨で中止になり、

さらに21日の午後にネットの宣伝にたまたまこのイベントがあることを知り、

イベントにいけば日下田先生にあえると思っていた。結果的にはあえなかったのだが。

その時の様子を記録した。

なお、栃木県ではスケジュールはあちらこちらでひっぱりだこになっている

日下田先生も参加されて、今後もおそらく指導や伝承なさる

と考えて、意見をぶつけあっている場合ではない とさっした。

もう日下田先生や時間や活動は、次へ次へといっているのだ。

あと30分で21日にちが終ろうとしている。

2013.4.21.日 記録 北村織物 北村陵